どんなアイデアも、どんなものも、WEBを調べれば出てきてしまうのではないかという不安。-2019/02/04

何か突飛よしもないことが起こってほしい。

ということを思う人は、増えてくるのではないか。というのも、なんだかもうありとあらゆる情報にアクセスできているような気がしてしまって、世の中にいわゆる新しいアイデア、なんだか線形な、連続的な発展ではなく非線形で発展することなんてないのではないかなんていう気がしてきてしまう。

例えば何か自分が新しいことを思いついたとしても、とてもそれが世界で初めてのこととは思えない。調べれば出てくるんじゃないか。きっともっと有名な研究機関や大学ではとっくにこのようなことをやっていて、すでにそれは失敗して跡形も無くなったから見つからないだけなのではないかという気がしてきてしまう。

もちろんこれは現時点での自分の自信のなさの影響が大きいとは思う。だが、それもそうだけれども、例えばこういうこともあるんじゃないか。

何か思いついたとする。それを調べると、どうやらそれと全く同じことを考えている人がいて、そのサービスのホームページまでできていた。
でもそれは数年前に更新が止まっていて、もうクロージングしているように見える。

こういった時、どういう風に考えるかが結構大切な気がしていて

・もう同じことをやっている人がいて、失敗しているようだ。

と思った場合、今度失敗した理由を探す。ただ、それがわからないとなった時、多分多くの人はやめてしまうだろう。失敗した理由がわからない、自分たちよりよっぽど大きい団体がやっていたらなおさら、失敗の可能性がそこより大きいからやめておこうとなってしまうのではないか。

・同じことをやっている人がいるだけで、自分は自分なりにやってみよう。

こう思えればいいのだけれども、新規性がすでにないことをこれからやろうというのはそれはそれで難しい。

その過去の事例よりうまくいくというある程度の自信も必要だし、新規性がないということで投資もメンバーもきっと集めにくいだろう。

ただ実際、会社をやってみて思うのは、アイデアなんかより他のことでいくらでも失敗するし、どんなことでも違う人がやったら同じようなことをやっても全く違う表現になるのではないかということだ。

仮に同じことをやってる人がいたとしても、自分で思いついてすごくいいと思ったことなら、自分は自分なりにやってみようと思うことはとても大切なんじゃないかと思う。あまりにも新規性があるかどうかということに振り回される人が増えてきていて、すごくもったいないことが増えている気がする。

特にインターネットの普及によってあらゆる人が些細なことでも発信するようになり、その情報に容易にアクセスすることができるようになってきている。
自分が思いついたことと同じことをやっていることに出会う確率は以前よりうん億倍になっているだろう。

全く新しいことは世の中ほとんどなく、何かを少し変えてやってみただけとうことがほとんどだろう。だとしたら、全く同じものを見つけたとしても、自分なりにやってみる。それだけで、全く違う世界が開けるのではないかと思う。検索によってあらゆる情報にアクセスできるようになった今、自分なりにやってみるということはますます大切になってきているように思う。

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Simplify3Dで、Vaseモードにしたのに上が埋まってしまった問題

Simplify3Dで中身が詰まっている3Dデータを読み込ませた後、Vaseモードで中空で造形しようとしたところ一番上の部分がなぜか埋められてしまう

https://www.thingiverse.com/thing:3376908

例えばこのデータを作ろうとした時、中身は埋まったデータになっているのでVaseモードにしてプリントして容器にするというのが一般的な流れなのだけれども、こんな感じで上のレイヤーが埋まってしまう。

こういった中が詰まってるデータを

Vaseモードでプリントすれば普通は完成品のような中身がないものになるはずが、下の画像のように

上が埋まったスライス結果が出てきてしまう。

 

なんでかなあと調べていると、このYoutube動画で指摘されていた。

 

言われてみれば当たり前だけれども、このTopSolidLayersの値が、Vaseモードにしても生きていて、通常ここは2とか3になっているので結果として上が埋まってしまうということだった。

無事0にしたところ、Vaseで造形することができました。

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新しく作ったAWS WorkSpacesのWorkspaceにクライアントからログインしようとして手こずった話

  • AWS Workspacesの新たなWorkspaceにログインできない

AWSのWorkspacesで新たにWorkspaceを作りユーザーを割り当て、クライアントソフトからログインしようとしたがログインできない。

  • 起動時の画面に新しいログイン情報を入れてもだめ。パスワードリセットもサーバーエラーでだめ。
    ここに新しいログイン情報を入力すればいいと思ってたが、実は前のregistration情報が残っていて、前のワークスペースに接続しようとしている。厄介なのはパスワードリセットまで前のワークスペースにアクセスしようとしてしまうのでユーザー名が違う時点でリジェクトされる。もしシャットダウンされていたらサーバーエラーを吐いてしまう。
  • オプションからRegistration情報を変更する
    Manage Registrationsからメールでもらっている登録コードを入力し直す必要がある

    ここから登録コードを入力して、接続先を変えて初めてログインできる。結構前にWorkspaceを立てたものだから最初にこの登録コードを入力したことをすっかり忘れていた。

 

ちなみにWorkSpacesのクライアントアプリを削除してインストールし直してもこの画面はOptionから開かない限り出てこず、以前の登録コードが保存されていてLogin画面が出てきてしまうので勘違いしやすい。

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何かを発信しなければという焦燥感-2018/10/29

Twitter,Facebook,Instagram,Youtubeと、UGC(ユーザージェネレーテッドコンテンツ だったはず。。。)をベースとしたサービスがたくさんある。

こういったサービスを見れば見るほど、自分も何か発信しなければいけないという焦燥にかられる。

 

インターネットによって誰もが情報を発信できるようになり、誰もが誰とでも繋がることができるようになる。

 

インターネットのメリットを説明するときの教科書的文章だ。基本的には正しいが、現在結果的には現実世界と同じくアクセスがたくさん集まる場所と全く集まらない場所の二極化が進んでいる。本当に、不動産みたいな話だ。

一等地はGoogle検索順位1番地。メディアの運営とそれに付随する広告収入だけで1部上場している企業がわんさとあるんだから本当にすごい話だ。

どのUGCのサービスでも言えることで、一定のアクセスを得ることでそのプラットフォームが結構中抜きしているにも関わらずそれなりの収入を得ることができている人が出ている。

ただそれも本当に一握りの話で、全体の1%行くか行かないか。全く持ってもらえない人がほとんどだ。コンテンツというのは、積み重ねで気が付いた時にはもう追いつけないほどの量のコンテンツとそこに対するアクセス、オーガニックの検索順位という価値が付随している。なので、本当にやったもん勝ち的な部分がある。

最近この感覚がすごいあって、あまりよくないなあと思っている。この感覚というのは、埋蔵金探しみたいな感覚で誰かがやったらそのやったもん勝ちで、だんだんとそのあたりは減っていってると言う感覚。ゴールドラッシュの時に群がった人々がたくさんいるが、金には埋蔵量の上限がある。それだけ掘ってしまえばもう掘れ無くなってしまう。

なんだかあらゆる物事がどこかに上限があるんじゃないかと言う気がしてならない。

しかし、実際には世の中ここ何十年もうこれ以上便利にはならないよねみたいなことが言われつつも、結果的には進歩し続けているわけだからきっとそんなことはないのだろう。きっと10年後はもっと便利になっているはずだ。10年前には想像できなかったことが実際に起きているわけだし。

(新宿、10年後はどうなってるやら)

で、話を戻すと何かを発信しなければならないと言う焦燥に駆られている。

駆られているのだけれども、そうやって何かをひねり出そうとしている時点でもう才能がないと言うか、ダメなんじゃないかと言う意見がある。

作れる人はもう黙ってても作れるし、溢れ出してくるものだと。

ただ僕はこの意見には結構懐疑的で、と言うか自分がそうじゃないから懐疑的にならざるおえないと言えばそうなのだけれども、結構突飛よしもないものも何らかの延長線上か何かと何かの組み合わせだと思うので周りから見るよりも当人はひねり出そうとして、何とか出てくるアイデアなのではないかと思う。

何かを発信すると言うのは、要は自分の作品を作りたいと言う気持ちの裏返しなんじゃないかと思う。結局今の所自分自身で何かを作り上げたと言う感覚は全くなく、どのような物事もこれはあの人がいたからできたことだし、これはこの人がいたからできたことで、自分はきっかけを作っただけだなあと思ってしまう。結局、完結させたことがない。

自分はこれから何か自分自身でなにかを生み出す人になるのか、生み出す人を支援する側になるのかが、まだ定まっていない。もうそろそろ定めないとと言うか、スタンスを決めておかないと厳しい状況になってしまう。

そうしたスタンスの決まらなさが、結果的に何かしなければ、何か発信しなければと言う焦燥に繋がっている気がする今日この頃です。

2018年10月29日 午前1時59分 近所のデニーズでドリンクバーのアイスティーを飲みながら。

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気晴らし-2018/10/20

気晴らしにドライブしてみた。ついこの前書いたけど、せっかく車があるんだしということで、山梨の方に行ってみた。

気晴らしっていう字、気散しだと思ってたことが結構前にある。なんかこう書くと人材を人財みたいなアレでやだけど。

どうだった?と聞かれれば、まあ気晴らしにはなったのかなという感じで、どうということはなかった。

何が問題って、自分の中で気晴らしということ自体がそれほどいい印象を持って受け止められていないというところが厄介だ。

気晴らしってしていいのかどうか、いまだに少ししていてモヤモヤする。本当に気晴らしして何か効果があるのか、本当にそうやって気晴らしをしていいのかどうかがすごく迷う。

遊びだってそうで、基本的に遊びってなんというか、していいものじゃなくて、勉強しの対価というか、そのご褒美的なものとしてやるものだったから、どうも遊んでいてもモヤモヤしてしまう。

明確な消費行動というのもそれと同じ系譜にあるかもしれない。何かのご褒美的な立ち位置でやるのはいいけど、そうじゃないのはちょっと。
さらに問題というか当たり前なんだけど、金銭を自分で支払うもんだから何か投資可能性を削って消費することになってしまう。時間も限られている。
そんなことをしていいのかという罪悪感が積もってくるもんだから、どうも気晴らしした気になれない。

そもそも、何か普段やっていることでストレスが溜まるから別のことをしましょうということ自体が、何か間違ってるんじゃないかという気がしてくる。
車に乗ってるとつくづくそれを思う。

 

ただ一方でそうやって気晴らしをしなかったり何か普段やってることとは全く違うことをしないと、視野が狭くなって行き詰まるのもなんとなくわかる。
この前twitterで誰かが言ってた気がするけど、遊ぶ能力、才能ってすごく大切で、それを子供の頃全くやってこなかったのでほんと参ってる。

そうやってうまくいかないのをまた親のせいにするのかと言われそうだけど、でも参ったなあと最近思う。

僕の場合というか、これ結構一般的な話なんじゃないかと思うのだけど、本当に感情を動かして娯楽を楽しんでいることってどの程度あるのだろう。たとえば、ソシャゲをしている人とか、電車の中で色々している人たち、週末ショッピングセンターに買い物に行く人たち。

みんな本当に楽しんでやっているのだろうか。僕が悲観的なだけなのだろうか。気晴らしと言って、本当に感情を動かしているのだろうか。とてもそんな風には思えない。なんだか、暇つぶしの一環みたいな感じなのではないか。

そういってじゃあ感情が動くものいうと、パチンコだその辺りが出てきてしまうかもしれない。感情をあまり動かすとそこに中毒性が出てきてしまうみたいだ。

しかし例えば、毎週末バイクでどっかに行くとか、時間を見つけてはサーフィンする、お金がたまればすぐにでもカメラのレンズを買ってしまうと言ったようなこともパチンコにハマったりとかソシャゲに100万使いましたとあまり変わらない気がしないでもない。ただじゃあ何が違うのかっていうと、結局金額の度合い、脳の反応の仕方の度合いの問題で、あまり度を過ぎてお金を使わせてしまったり感情を煽りすぎるとそれは中毒という病気として認定されて、あまり良くないものとされてしまうようだ。

適度な気晴らしが重要です ということで、やっぱり総てはバランスなのかなあと思いながら、試しにしばらく、あまり感情の動かないことをできる限り市内で過ごしてみようと思います。息が詰まって何もできなくなっちゃうかな。

 

2018年10月20日 午後11時30分自宅にて

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